作左曲輪は家康の命を受けて重次が築いた曲輪です
三方ヶ原の戦いの時、家康は重次を呼んでもし城が武田軍の重囲におちいり長期戦となったらどうしようかと兵糧について尋ねたら米は十分貯蔵してありますと返事をし、家康は非常に喜んでその時の米蔵に屋敷を造る事を許しこの屋敷に城柵を設け城の搦め手として浜松城の西北に備えとして重視された
作左曲輪は独立した城郭ではなく浜松城の一曲輪であるが、形態上浜松城と区物され別に扱われている
本田作左衛門重次は長篠の陣中で「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」と妻にあてた手紙で有名であり、家康の三河経営では三奉行として「仏高力、鬼作左、どちへんなしの天野三兵」と言われている
- 考察・感想
- そのまま歩くと見落としてしましそうですが、案内看板が建ってますので見つけてください
- 駐車場
- 公園周辺の駐車場を利用
- 目標物
- 浜松市役所
- アクセス
- JR東海道本線「浜松駅」下車、北口バスターミナル13番乗場から全てのバスで「市役所」下車
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