諏   訪   原   城   


【二の曲輪中馬出と堀】
別  名牧野城・牧野原城・扇城
所在地静岡県島田市金谷
築城年月永禄12年(1569年)
築城者武田信玄
主要城主武田氏
城郭様式台城
遺  構馬出、空堀・曲輪・土塁・井戸
諏訪原城は標高218m、比高148mの牧野原台地に築かれた城です

武田信玄は金谷台地に諏訪原など5砦を築き、築城奉行馬場美濃守信房が初代諏訪原城主となりました

その後徳川軍に攻められ攻略されたが、天正元年(1573年)高天神奪回を目指す武田勝頼は、馬場美濃守信房に城の改修を命じました

天正3年(1575年)徳川家康によって攻め落とされ、城名を牧野原城と改められました

天正9年(1581年)高天神城が落城後は空き城となり、天正18年(1590年)に廃城となりました

考察・感想
諏訪原城と言えば丸馬出。立派な馬出が一杯あります。台地上からの攻撃を想定し、台地側に7ヶ所構えられた。すべて半円形で前面に三日月堀を持つ丸馬出です
昭和50年には国指定史跡となりました
この城は扇城とも言われ、本丸を要として二の丸、三の丸を前面に配置した形となっています
城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城の名が付いたとも言われています
駐車場
専用無料駐車場有
目標物
諏訪原城
大手南外堀です。幅5m、深さ3.3m、の薬研堀です 大手北外堀です

大手曲輪です 城址碑です

惣曲輪です 二の曲輪中馬出と堀です

二の曲輪北馬出と堀です。最北端に位置し南側二の曲輪中馬出と土橋で接続する重ね馬出となっている 二の曲輪北馬出の門です。発掘調査の結果、この位置にあった

二の曲輪と外堀です 二の曲輪と仕切土塁です

内堀です 本曲輪虎口です

カンカン井戸です 諏訪神社です

城址碑です 二の曲輪大手馬出しです

二の曲輪南馬出です 二の曲輪東馬出です

二の曲輪東内馬出です 丸馬出説明です

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