高   天   神   城   


【西の丸と馬場平間の掘切】
別  名
所在地静岡県掛川市上土方
築城年月室町時代中期
築城者今川氏
主要城主武田氏・徳川氏
城郭様式山城
遺  構曲輪・井戸・空堀
高天神城は標高132m、比高104mの鶴翁山(高天神山)に築かれた城です

元亀2年(1571年)3月、武田信玄は2万の軍でこの高天神城を内藤昌豊に攻めさせたが徳川家康の配下である小笠原与八郎長忠らが守る2千の兵が守りきった

天正2年(1574年)5月、武田勝頼は2万の軍で高天神城を攻め、遂に6月17日に開城し信玄が落とせなかった高天神城を僅か1ヶ月で勝頼は落とした

天正6年(1578年)3月、家康は高天神城攻略のため横須賀城を築城、天正9年(1581年)3月23日には家康軍の榊原康政・本多忠勝・鳥居元忠らに攻められ遂に落城し廃城となった

考察・感想
戦国期には「高天神を制する者は遠州を制す」といわれただけあり、周辺は断崖絶壁です
資料見ながら歩くと危ないですよ。落ちたらもう駄目でしょう。搦め手から城址を見ると急斜面が特に良く分かります
この城を落とした勝頼はすごい。弱点は本丸と二の丸を分ける中央の井戸曲輪が広過ぎる事ですね
駐車場
専用の無料駐車場有(大手・搦め手両方に有)
目標物 
久能山東照宮
アクセス
JR東海道線「掛川駅」下車、3番バス乗り場の大東経由浜岡営業所行きで「土方」で下車
そのままバスの進行方向に歩いて行くと追手門入口の看板があります
追手門跡です 着到櫓跡です

着到櫓土塁です 鐘曲輪です

井戸曲輪です。中央奥が「かな井戸」です 西の丸です。岡部丹波守真幸が守備していた時期があり丹波曲輪とも呼ばれる

西の丸から南側に続く道にある堀切です 更に先の西の丸から南側に続く道にある堀切です

西の丸と馬場平間の切割です 馬場平です

甚五郎抜け道です。天正9年3月落城の時23日早朝軍監横田甚五郎尹松は本国の武田勝頼に落城の模様を報告するためこの険路で脱出して信州を経て甲州はの抜け去った 袖曲輪です

二の丸です 本間八郎三郎氏清・丸尾修理亮義清の戦死の址です

堂の尾曲輪です 堂の尾曲輪の土塁です

堂の尾曲輪の堀切です 堂の尾曲輪下の空堀です

高天神城2NEXT

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