新府城は標高522m、比高72mの七里岩台上の城山に築かれた城です 織田信長の甲斐侵攻に備え、天正9年の春、部将真田昌幸に命じて築かせた 僅か8ヶ月という突貫工事により完成したが、天正10年3月3日織田軍の侵攻を前に自ら火を放ち郡内領岩殿山城へと落ちていった 考察・感想 突貫工事の割には規模が大きいと感じます。郭の配置も良く考えられていると思います 近世城郭の時期にしては石垣が使用されていないのが不思議である 駐車場 無料駐車場有 目標物 新府城 本丸です 武田勝頼公霊社です 蔀の構です。本丸と本馬出しの間にあり城内を見透せないように工夫したもので、本丸西側の防衛のため植え込みがある 本丸と二の丸間の土橋です 二の丸と周囲の土塁です 馬出しです 西三の丸です。三の丸は南北の土塁により西、東に分かれている 東三の丸です 大手枡形です 三ヶ月堀です 南大手門です 東出構です 全景です 鳥瞰図です
織田信長の甲斐侵攻に備え、天正9年の春、部将真田昌幸に命じて築かせた
僅か8ヶ月という突貫工事により完成したが、天正10年3月3日織田軍の侵攻を前に自ら火を放ち郡内領岩殿山城へと落ちていった