堂洞城は420m×650mの城です
永禄8年(1565年)尾張の織田信長が小牧山から軍を進め木曽川を越え美濃に伊木山城を築き鵜沼城・猿啄城を攻略し加茂郡内に侵入した
これに対し堂洞城・加治田城・関城・鉈尾山城の4城は同盟し信長勢を遊撃する手筈であったが加治田城主佐藤忠能は盟約に背いて無断で信長の降伏勧告を受け入れた
その夜堂洞城主の岸信房は正室としていた加治田城主佐藤紀伊守忠能の娘を斬殺し翌朝首を竹竿の先に刺して加治田城の正面の長尾丸山の頂上にさらしたという
翌日信長の武将である丹羽長秀・河尻鎮吉の軍勢が堂洞城に攻めよせ、城兵も果敢に応戦したが長尾口丸山方面で奮戦していた信房が討死にしたとの報告を受けた信周は妻と刺し違え自害した
城兵も一人の逃亡者もなく全員討死にし、死をもって義理を通した岸一族は滅亡し堂洞城は落城した
- 考察・感想
- 隣がゴルフ城となっており、歓声の方を見るとグリーン上でパターをやっていた
- なんか攻城の雰囲気がない
- ここは3回攻城しやっと落城させることができた。3回もいくと季節毎で雰囲気が全然違うのがよく分かった
- 駐車場
- 駐車場スペース2台
- 目標物
- 蜂屋連絡所
- アクセス
- 国道418号を川辺から関方面に進みます
- 蜂屋連絡所を過ぎ右側にしたの画像の石碑のある信号を右折します
- あとは道なりに真っ直ぐ進むと頂上付近が登城口があります
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