野原城は承久の乱(1221年)に京都軍に味方した野原三郎義道が居城した城です
室町時代の応仁元年(1467年)に安江光庵基政がこの地に砦を築き、兼山の森氏、苗木の遠山氏と対向した
天正元年(1573年)基政の孫正常の時、苗木遠山氏の軍勢が遠征して来る野原城を攻め、安江勢は敗れ落城した
- こぼれ話
- 野原城落城の時、奥方(お方様)は一旦逃れ出たもののたちまち捕らえられ荒武者どもに切りさいなまれ、飛騨川に投げ込まれた
- それから幾日か過ぎて腐乱した奥方の遺骸は激しい飛騨川の流れにもまれ、ちぎれちぎれになって流れ去ろうとしたが、その執念がこり固まったように付近の岩にしがみつき、次から次へと岩にひっかかったまま残っていたという
- 体が二つに分かれてひっかかったのが二つ岩、七つに切れてひっかかったのが七つ岩、腕がひっかかったのが腕岩、股のひっかかったのが股根岩と言われている
- 考察・感想
- 野原城址入口の碑を見て登って行くと頂上付近に立派な城碑が建っている
- 駐車場
- 路上駐車(交通量はほとんどない)
- 目標物
- 白川小学校の対岸付近
- アクセス
- 国道41号を美濃加茂から高山方面に進みます
- 白川町内の鷲原橋を渡り最初の信号を右折します(ピアチェーレがある)
- そのまま左岸を進むと左側に野原城址がある
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