篠    脇    城    


【城址碑】
別  名郡上城
所在地岐阜県郡上市大和町
築城年月建武4年(1337年)
築城者東氏村
主要城主東氏
城郭様式山城
遺  構竪堀・曲輪
篠脇城の城主美濃東氏は関東下総国香取郡東荘の領主で鎌倉北条氏家人の名門千葉氏の支流で、東胤行が承久の乱の戦功により郡上郡山田荘を加増され大和町剣に阿千葉城を築き本拠とした

しかしこの郡上郡には鷲見氏が鷲見城を本拠とし北部を支配していたため阿千葉城では位置・防衛に不十分であったため篠脇城を築いて移り本拠とした

戦国時代になると越前朝倉氏の侵攻を受け撃退したものの城下は灰燼となり復興も容易ではなく支族遠藤氏の台頭もあり篠脇城も不適となったため八幡赤谷山城の東に東殿山城を築いて本拠を移した

こぼれ話T(歌で還った篠脇城)
篠脇城は応仁2年(1468年)美濃国守護斎藤妙椿の急襲を受け落城したが関東に出陣中の常縁がこれを聞いて悲しみ十首の和歌を詠み妙椿に送ったところこれに感動して城が返されたというエピソードがあります
こぼれ話U(古今伝授の祖)
9代常縁は高名な歌人であるとともに古今集研究の第一人者で連歌師宗祇にその奥義を伝授したことでよく知られ古今伝授の祖といわれている
考察・感想
ここはいい!連続してある竪堀は必見です
麓には東氏記念館や和歌文学館などいろいろあります。お勧めの城です
駐車場
無料駐車場70台
目標物
古今伝授の里
アクセス
国道156号を郡上八幡町から白鳥方面に進みます
東海北陸自動車道「大和IC」を過ぎ、「徳永」の交差点を右折します
そのまま道なりに進と左側にあります
一の曲輪です 篠脇霊魂堂です。鎌倉時代から室町時代にかけ山田庄を統治した東氏の先祖第50代桓武天皇の曽孫高望王、平良文、東氏初代胤頼、重胤をはじめ郡上東氏初代胤行から11代常慶までの霊位がまつられている

東家之碑です 土塁です

二の曲輪?です 堀?です

石垣です 竪堀です。このような竪堀が連続して有り形がもみすり臼の目に似ているとこから「臼の目堀」と呼ばれ石や丸太を投げ落として敵を撃退するために掘られたものといわれている

大手道です 東氏館跡庭園です。当時の庭園を復興しています

古今伝授の碑です 篠脇城想像図です

麓にある城址碑です 明建神社です。東胤行が下総国から入治したとき千葉氏の氏神である妙見大菩薩を剣の阿千葉城の南に勧請して東氏の氏神とした。城を篠脇山に移した際神社も現在の所へ移した

民造岩です。文政11年(1828年)9月郡上青山藩の家臣梶村太郎が剣村に女「まき」をつれて妙見宮の拝殿で休んでいたが八幡柑屋の手間取り民造に切り殺され、民造はまきも殺そうと追いかけたが見失いこれまでと栗巣川のほとりで腹を切り淵に身を投げて果てた。腹を切った所の岩を民造岩という 東常縁の肖像画です

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