鷲見城は標高645m、比高95mの向鷲見山に築かれた城です 鷲見氏は藤原氏より出て藤原家保の八男頼保が鷲見郷に土着し鷲見姓を名乗った 南北朝の時代では鷲見氏の全盛期であったが、戦国時代になると勢力を失い東氏・遠藤氏に属した 天正13年(1585年)越前大野城主金森長近の飛騨侵攻の際14代保光は討死し、鷲見城も廃城となった 考察・感想 ここは遺構が結構残っておりなかなかよい城です 大手門跡の木の門は寂しい限りですが、麓には館跡があり、山の随所には曲輪が残ってます 駐車場 無料駐車場有 目標物 無 三の木戸です 本丸大手門です 水の手です 水の手横の土塁です 本丸跡です 城址碑です 枡型門跡です 本丸周囲の土塁です 堀切です 西の丸です 東丸です 午の井です 柳丸です 巽の井です 館跡です 的場です
鷲見氏は藤原氏より出て藤原家保の八男頼保が鷲見郷に土着し鷲見姓を名乗った
南北朝の時代では鷲見氏の全盛期であったが、戦国時代になると勢力を失い東氏・遠藤氏に属した
天正13年(1585年)越前大野城主金森長近の飛騨侵攻の際14代保光は討死し、鷲見城も廃城となった