大  威  徳  寺  城  


【 碑 】
別  名
所在地岐阜県下呂市御厩野
築城年月
築城者
主要城主
城郭様式城郭寺院
遺  構曲輪
大威徳寺城は標高684mの三国山に築かれた城です

源頼朝が鎌倉幕府を開き、寺院建立の命を受けた文覚上人がこの地に来て霊感を得て建立されたと言われている

建てられた当時は7堂12坊という大寺院であり、この時に城の縄張りも行われたと言われている

弘冶2年(1556年)美濃国高森城主遠山友勝が飛騨に侵入してきたため、桜洞城主三木良頼は三木三郎に防がせたが寺院の大半が焼失した

天正13年(1585年)11月29日飛騨の大地震のため全て壊滅してしまった

考察・感想
ここはすばらしいですね、たまたま、発掘調査報告会の後だったのであっちこっちに説明看板が建っており分かりやすかった
遺構も手付かず状態のような感じで、この広さにも圧倒されます
残念なのは道が狭い。一人では怖い道ですね。途中寂れた別荘があったりして不気味
駐車場
駐車スペース有
目標物
舞台峠ドライブイン
本堂跡です。建物の周囲に縁側が巡り正面に向拝がつく構造であった 復元図です

寺院中心部南端の石段と石積です 復元図です

山門跡(ニ王堂跡)です 土塁です

三重塔跡です 鐘楼跡です

秩父杉切株です。鎌倉幕府の有力武将であった畠山重忠が寄進したと言われている 石積です

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