松倉城は標高856mの松倉山に築かれた城です
三木氏よる飛騨平定は自綱の時で永録元年(1558年)天神山城にいた高山外記を滅ぼし叔父の久綱を入れ、天正7年(1579年)に松倉城を築き桜洞城から移った
天正7年(1579年)子の信綱を松倉城に呼び寄せて殺し、高原諏訪城の江馬輝盛を荒城郷八日町の戦いで滅ぼし、弟の鍋山城主顕綱をその居城に刺客を放って殺し飛騨一円を平定した
しかし、天正13年(1585年)越中の佐々成政に与して秀吉打倒を策した自綱を秀吉は越前金森長近に命じて討伐し落城となった
- こぼれ話(小糸伝説)
- 松倉城築城時付近の農家に小糸という12・3才の少女が人柱として誘拐され、その娘を探す母親は「小糸よ、小糸よ何処へ行った」と叫び続けてついに発狂して死んだという
- こぼれ話(黒い蛇)
- 松倉城落城の時自綱の妻が二の丸の井戸に自分の帯を投げ込み「汝心あらば大蛇となりてこの怨みはらしてくれよ」と叫び本丸屋形の火の中に身を投じて死んだ
- ある時里人の女が城址の下のえちご谷の畑に出て畑に倒れていた黒い大木に腰掛けて休んでいたが急に大木が動きだし、大蛇の胴体に腰掛けているのが分かりぎっくりして失神してしまった
- 今も松倉山中には大蛇が棲んでいるという
- こぼれ話(千光寺の血天井)
- 松倉城落城時自綱の妻は城をのがれ小八賀郷に家臣に守られ隠れていたが、残党狩で発見され皆殺しにされた
- その後金森長近が千光寺再建に当たり自綱の妻が隠れた家形の床板を本堂の天井に使用したところ怨みのこもった天井板は何度削っても血痕のあとが滲み出るという
- こぼれ話(二の丸の井戸)
- 二の丸にある井戸はこの松倉城落城時宝物を投じとされており、掘り取る者には祟りがあるといわれている
- 考察・感想
- ここはいいですよ。立派な石垣が残っています
- 進軍時は写真でも分かりますが霧が立ち込めてきたのはびっくりでした
- 麓には飛騨の里があり家族連れでもいいかも?
- 駐車場
- 山頂に駐車スペース有(数台)
- 目標物
- 飛騨の里
- アクセス
- 国道41号を小坂町から高山方面に進みます
- 高山に入り「上岡本町南」の信号を左折し少し進と「飛騨の里」左折の看板がありますからそこを左折します
- そのまま飛騨の里も過ぎ山頂付近に駐車します。そこに登城口があります
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