◆ 姉川の戦い(滋賀県東浅井郡浅井町)


【古戦場碑】

【軍配置図】

「激戦地」
元亀元年(1570年)6月28日姉川をはさんで北に陣取る浅井・朝倉連合軍は18000、南に織田・徳川連合軍28000は午前5時ごろ徳川から戦いが仕掛けられた
最初浅井・朝倉軍が優勢で織田方は13段構えの陣を11段まで突破され信長の面前に刀・槍が突き出るまでであったが徳川軍の力戦によって朝倉軍が後退したため浅井軍は右翼から崩れはじめこれに力を得た織田軍も総攻撃に転じついに浅井・朝倉軍は小谷城へ敗走することとなった
この戦いによる戦死者は浅井・朝倉軍が1700、織田・徳川800となり姉川が死傷者によって赤く血に染まったといわれている

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