◆ 藤波畷の戦い(愛知県吉良町)


【古戦場】

【富永伴五郎一族討死の地】

「激戦地」
三河に着々と勢力を蓄えた松平元康は永禄4年(1561年)9月小牧砦に出陣し東条城攻撃の態勢を固めた
13日小牧本陣からは本多広寺、酒井正親らが出陣し、東条城からは城主吉良義昭重臣室城主富永伴五郎らが迎え撃った
深田の中の細い縄手道で討ちつ討たれつ、無勢の吉良方が不利となり善戦及ばず富永勢は全滅、伴五郎もここで討ち死にした
勇将を失って城は落ち名門東条吉良氏の支配は終わった

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