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「激戦地」 天正12年(1584年)3月17日徳川家康・織田信雄の連合軍が豊臣秀吉と対決した小牧長久手の戦いの最初の衝突の場所がこの八幡林である 秀吉方の森長可(蘭丸の兄)は3000の兵を率いて家康のいる清州をうかがおうとして羽黒八幡林に陣を構えた これを知った家康は酒井忠次・榊原康政・奥平信昌ら5000の兵を出動させ両軍が激突した 鬼武蔵の異名をとる長可は全軍を叱咤激励し奮戦したが、しだいに劣勢となり森勢の敗北となった 長可がようやく逃れることができたのは長可の忠臣野呂助左衛門が追いすがる徳川勢を食止めて縦横無尽の戦いの末戦死があったからである 野呂助左衛門の子孫十郎も父が死んだと聞いてかけもどり斬り死にした |