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「戦場碑」 慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの前哨戦」というべき岐阜城攻撃の諸戦が木曽川を挟んで開始され、この川島町がその古戦場となった 東軍の池田輝政を先鋒とする浅野幸長・山内一豊・一柳直盛ら1万8千は、木曽川の河田を渡り越え新加納を経て岐阜に向かう策戦をたてた 西軍に属する岐阜城主織田秀信は、木造具政・百々綱家・川瀬左馬助ら3千3百を新加納と米野の間に配置し敵を待ち伏せた 8月22日、東軍の池田輝政は前進命令を下し中州小屋場島に陣をはった 敵兵の小勢を知った東軍は、まだ夜の明けない内に一柳直盛を先頭に渡河戦を激戦展開し付近一帯は阿修羅場と化した 西軍岐阜城兵は、鉄砲隊の奇襲作戦によく奮闘したが遂に敗退し勢いに乗った東軍は翌23日岐阜城を落城させた |