◆ 桶狭間の戦い(愛知県豊明市栄町)


【古戦場碑】

【義元の墓】

「激戦地」
桶狭間の戦い。永禄3年(1560年)5月19日織田信長はわずかな2千騎で2万5千の今川勢を襲撃
今川義元を奇襲により破り天下統一への一歩を踏み出した有名な戦いである
今川義元、松井宗信、無名の人々の塚があり、明和8年(1771年)七石表が建てられた
義元の墓は史跡公園内とその隣にある高徳寺の2箇所あります。史跡公園内のは1876年に建てられ以前は塚があったといわれており墓石の後に木は「駒つなぎのネズ」と呼ばれるもので休憩時義元の愛馬をこの木につないだといわれている。高徳寺にある墓は義元も三百忌に建てられた供養塔である
徳本の名号。徳本行者がこの地を訪れて敵味方の戦死者の霊と弔うために建てられたものである
お化け地蔵。このあたりに白馬に乗った義元の幽霊が出るため、その霊を鎮めるためにこの地蔵を建てたという
【弔古碑】 【七石表の一】 【義元本陣跡】

【仏式義元の墓】 【徳本の名号】 【お化け地蔵】

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