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「激戦地」 賎ヶ岳の戦い。本能寺の変の後台頭してきた羽柴秀吉とそれに反感を募らした柴田勝家が戦った 天正11年3月柴田勝家は4万を率い玄蕃尾城に本陣を置き、対する羽柴秀吉は6万お軍勢で田上山に本陣を置いた この形勢を見た岐阜城の織田信孝が大垣城を攻撃。秀吉は軍を率い岐阜に向かった所を勝家方の武将佐久間信盛が大岩山の中川清秀の陣を急襲して壊滅させた 大垣でそれを聞いた秀吉はわずか5時間で木之本に戻り、賎ヶ岳で攻撃を開始し、激戦の末佐久間信盛を壊滅させ、勝家本隊へと軍を進め、勝家軍を敗走させた。 この戦いで「賎ヶ岳の七本槍」が有名となった。秀吉の馬廻りの福島一松(正則)・脇坂甚内(安冶)・加藤虎之助(清正)・加藤孫六(嘉明)・平野権平(長泰)・片桐助作(旦元)・糟野助右衛門尉(武則)の小姓7人が勝家方の猛将拝郷五左衛門らを討ち秀吉軍の反撃に抜群の活躍を行った |
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