◆ 屋島の戦い(香川県高松市屋島)


【古戦場碑】

【屋島寺】

「激戦地」
寿永3年(1184年)一の谷の合戦に破れた平家は屋島に逃れ、当時島であったため海上防衛の陣を敷くが、源義経は平家の裏をかき陸路で屋島対岸の高松に陣を進め火を放ち大軍が来襲したように見せかけ源氏の大勝となった
周辺には義経が海中に入って戦ううちに脇下に挟んでおいた弓を海中に落とし平家方の越中次郎兵衛盛嗣に熊手をかけられ海中に落ちかかったが義経は太刀で熊手をあしらい左手のムチで弓をかき寄せ引き上げたという「弓流し跡」、太刀を折られ逃げる源氏の美尾屋十郎の兜を平家の悪七兵衛景清が熊手で引っ掛けて強い腕の力で兜の錣を引きちぎり景清の剛勇さと十郎の首の強さをお互い称賛したという「錣引跡」、那須与一が平家の船に立てた竿の先の的を射るときこの岩のところで祈ったという「祈り岩」、祈りを終え海の中のこの岩めで駒を進め足場を定めて船の扇の的を射落としたという「駒立岩」、義経の身代わりとなって討ち死にした佐藤継信の亡骸をこの寺の本堂の扉に乗せて源氏の本陣まで運んだという「洲崎寺」、源氏の武将佐藤継信が平家の雄将能登守教経の強弓に射落とされたところといわれている「射落畠」、佐藤継信の首を切り落とそうと駆け寄った教経に仕えていた菊王丸が継信の弟忠信の弓によって倒されこの地に葬ったという「菊王丸の墓」、佐藤継信の墓、源氏の兵が炊事の水に困っていると弁慶が長刀で掘った井戸から綺麗な水が湧いたという「長刀泉」、源氏の兵のため炊事するのにマナ板がなかったのでこの石地蔵の背で野菜を料理して汁を作り義経にさしあげたという「菜切地蔵」などがある
【血の池】 【源平合戦供養塔】 【義経鞍掛の松】

【舟かくし】 【総門跡】 【弓流し跡】

【錣引跡】 【祈り岩】 【駒立岩】

【洲崎寺】 【射落畠】 【菊王丸の墓】

【佐藤継信の墓】 【長刀泉】 【菜切地蔵】

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