本郷城は本丸、周囲に内堀があり、その周りを囲むように二の丸、外堀があったといわれている
足利幕府より美濃守護職に任命された土岐頼忠・頼益父子が本郷城を築き入ったが、その後川手城に移ったので、太郎ヶ城にいた国枝大和守為助がこの城に入り、その子正助、宗竜、重光、重元、と200年余り在城した
慶長5年に関が原の戦いあり城主国枝修理亮政盛は織田秀信に仕え西軍についたため東軍徳川勢に焼き払われ廃城となった
- 考察・感想
- 民家と田んぼに囲まれここだけ違った雰囲気があります
- ここから少し離れた所に藪があったが、堀や土塁のような怪しき場所がありました
- 駐車場
- 隣が造成中のため、空き地があったが、今後は??、1本離れた道に退避所有(2台)
- 目標物
- 近鉄美濃本郷駅
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