加賀野井城の築城年代は不明であるが天正年間(1573〜1591年)には加賀野井弥八郎秀望が織田信雄の臣下となり415貫文(1万石)を領して城主となっていた
本能寺の変後豊臣秀吉と主筋織田家との間に対立が生じ天正12年(1548年)4月長久手で秀吉の軍に攻め落とされた
- 考察・感想
- 田んぼの中にぽつんとこの茂みがあります
- 遺構はなにもありません。残念!!
- こぼれ話
- 秀望は強勇の武将で伊吹山の凶族を討ったとか黄金1枚で8町四方の土地を買って墓としここに祀った地蔵が岐阜市の弥八地蔵であるとも言われている
- 駐車場
- 無(付近の道が通行量が少ないため少しだけなら駐車可能)
- 目標物
- 木曽川橋
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