北方城は伊賀太郎左衛門光就が築城し居城とした
光就の孫守就が斎藤氏滅亡後織田信長につかえ元亀元年(1570年)6月姉川の戦い、長島一向一揆に参戦し戦功をあげた
天正8年(1580年)嫡子河渡城主尚就が甲斐武田氏と内通してという嫌疑で信長の勘気を受けたので守就は北方城を出て武儀郡谷口村に蟄居し、この地を稲葉一鉄に預けた
天正10年(1582年)6月2日織田信長が本能寺の変で倒れると守就は一族旧臣を集め北方城に拠ったが稲葉一鉄・貞通父子に攻められ落城した
- 考察・感想
- 西美濃三人衆のひとり安藤守就の居城です
- 駐車場
- 無
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