応仁の乱が終わるころの城主大沢清金に七人の息子があり「大沢七兄弟」と近隣に恐れられるほどの勢力を振るっていた
しかし、七人兄弟は土岐定頼と戦って敗れ討ち死にしてしまった
その子孫の大沢正重は斎藤道三に仕えた
天文21年(1552年)生駒道寿が鵜沼城に拠っていたが、斎藤道三に支援された大沢和泉守正信が鵜沼城を攻略した
永禄8年(1565年)鵜沼城の大沢治郎左衛門は木下藤吉郎の計略にかかって落城し、その領有は池田恒興に委ねられた
正重の弟の大沢主水は織田信長の間者として仕えた
- こぼれ話
- 豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎と名乗っていた頃、大沢主水との間で長槍が有利か、短槍が有利かという論争となった
- とうとう試合で決着をつけることになり、藤吉郎は長槍隊を指揮して主水の短槍隊を叩きのめしたという話がある
- 考察・感想
- この城山を登ってみたかったのですが、山のまわりは塀、柵で囲まれており、有刺鉄線が張られている所もあり、関係者以外立ち入り禁止の看板もありました
- 近所の方に入る方法がないか聞いてみたのですが「ありません」と言われてしまいました
- 私が小さかった頃、この山の中に洞窟レストランがあったような気がします(自信はありませんが・・・)
- 頂上に大沢家の歴代碑があるそうです
- 駐車場
- なし
- 目標物
- 犬山橋
- アクセス
- 名鉄鵜沼駅を出て左折します
- そのまま真っ直ぐ行くと犬山橋の手前岩山が城山です
- 木曽川の対岸に国宝の犬山城が見えます
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