柳津城の城主であった竹腰摂津守が弘治2年(1556年)長良川の合戦で戦死し、その後叔父の成吉摂津守が城主になった
成吉摂津守は斎藤義龍の武将さらには斎藤龍興の重臣として仕えていた
このことから美濃の斎藤氏の勢力が、当時尾張国であった柳津あたりまでおよんでいたことがわかります
- 考察・感想
- 光沢寺の入り口に説明用看板があり、城址碑は本堂の裏に建っています
- 城址碑以外は遺構は無かった
- 駐車場
- 有
- 目標物
- 光沢寺
- アクセス
- 名鉄竹鼻線の「柳津駅」を下車し、そのまま真っ直ぐ進みます
- 最初の四つ角を右折し突き当たりを左折し進むと役場に当たります
- 突き当たったら左折すると広い道に出ますので、そこを右折します
- 右側にガソリンスタンドが見えたらそこを左折すると正面が光沢寺です
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