明知城は標高528mのこの地に築城し歴代遠山氏の居城となった
天険の地形を巧みに利用した山城で、土盛砦として保塁数大小23ヶ所あり、落城後原型のまま残されているのは数少ないとして、県の指定文化財となっている
天正2年(1574)3月12日、武田勝頼は父・信玄の意図を果たそうと軍勢1万5000を率いて進攻した
城主の遠山一行、叔父・利景らは兵600で死守し、援軍を織田信長に報じた
信長は、明知城を失えば美濃・尾張・三河・遠江・駿河の覇権を一挙に粉砕される恐れがあると感じ、自ら3万の兵をもって援軍に出陣し、武田軍と対峙した。勝頼は家臣の山県昌景に命じて信長の進路を断った。山岳戦の不利を知って信長は後退した
援軍に見放されて孤軍奮闘し500余名の死者を出して落城する。城主一行らは夜陰に乗じて足助城へ脱出し、徳川家康の庇護下に入った
- こぼれ話
- 遠山の金さんの遠山家の居城である
- 考察・感想
- 看板が最後の所しかないためなかなか見つけられなかった。
- この城は2回訪れた。1度目はデジカメがなく写真しか撮れなかったのでデジカメ入手後再度訪れた
- しかし、2度訪れて良かった。最初は本丸跡を見て同じ道を帰ったが2度目に本丸跡から反対側の道がわかりそこを行くと陣屋跡等があった
- この城址は結構いいですよ。いろいろな遺構が残っていておもしろかった
- この城は明智光秀の出生地と書いてあるが、やはり明智光秀の出生地は可児市にある明智長山城ではないかと思われる(個人的趣味ではあるが)
- 駐車場
- 明知城址入口に駐車場有(無料)
- 目標物
- 日本大正村(東の山が城山)
- アクセス
- 国道19号を多治見から中津方面に進み岩村城跡右折の看板のある信号を右折します
- 水資源開発公団の阿木川ダムを過ぎ岩村の手前で右折し国道363号線に入ります
- 明智町に入ったら狭い市街地の方へ直進します
- 少し進むと上矢作左折の看板が有りますのでそこを左折して下さい
- 坂を上がって行くと峠近くに明知城の標識が右に見えますのでそこを右折するとあります(標識は小さいので見落としの無いように)
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