飯羽間城は遠山氏の18子城のひとつです
本家岩村城に最も近く重要な城で典型的な中世の城です
飯羽間遠山氏は鎌倉時代に岩村遠山氏から分家して発祥した
室町時代は足利将軍に出仕勤番し、将軍に直属する有力な奉公衆で「永享以来御番長」の永享3年(1431年)に遠山飯羽間宮中少輔の名がある
戦国時代は織田信長方に属し、城主遠山友信は元亀元年(1570年)の上村合戦(恵那郡上矢作町)に出陣した
飯羽間城の規模は大きく、一の曲輪から出曲輪ももち、さらに枝城、物見台等も多く配してあった
- こぼれ話
- 天正2年(1574年)に武田信玄の子勝頼とその精鋭に攻撃され、織田信長から派遣されてきた14騎の武者と城兵350人余りが全滅し、城主は土蔵に追い込まれて生け捕られた
- こうして飯羽間城は落城し、姿を消した
- 考察・感想
- あの山の看板はありがたかった。これなら間違えなく発見できる
- 山頂への登道が崩壊のため通行禁止になっており、裏から登らなければならなかった
- 岩村城の近くにあるためセットで攻城することをお勧めします
- 駐車場
- 路上駐車(交通量はあまりない)
- 目標物
- あの大きな看板
- アクセス
- 国道19号を中津川から瑞浪方面に進みます
- 恵那市内に入り正家の信号を左折し、国道257号に入ります(岩村左折の看板がある)
- そのまま道なりに進み阿木川ダムも通過します
- 飯羽間に入った所を斜め右方向に曲がります
- そのまま進むとあの山に看板が出てきます
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