光忠は元亀3年(1572年)武田勢の美濃侵入に対し、明智の遠山景行と共に織田方となって12月の上村合戦に戦死し家督は光明が継いだ
その翌年天正元年には武田方の秋山晴近らによって岩村城は攻略され武田勢の美濃侵入の拠点となった
このことから天正3年織田信長は岩村城を奪回しようとして小里・神箆両城を固めた
命を受けた光明らによって小里城は大規模に広げられたが、岩村城はこの工事途中の12月信忠を大将とする織田方の攻撃で落城したので、小里城の改築も一之木戸の石垣や本丸構築の途中で中止された
- こぼれ話
- 小里城と呼ばれる城は稲津町に3箇所ある
- 1つ目は小里古城と呼ばれ源三位頼政の居城とも鎌倉時代の土岐光衛の居城ともいわれている
- 2つ目は小里新城と呼ばれ土岐鶴ヶ城の出城である
- 3つ目がこの小里城である
- 考察・感想
- 小里城址入口の碑が道路沿いに有ったので登城口を探したが見つからなかった
- 入口の碑から下流に下り最初の信号を左折したら入り口があった
- どうせなら入り口を立派にしておいてもらいたかった
- 最初はなだらかな坂であったが御殿場跡以降は急な坂となった
- 本丸跡にあった神棚のようなものはなんなのか?不明である
- 駐車場
- 路上駐車(小里城址入口から少し離れた所に待避所がある)
- 目標物
- 建設省小里川ダムの下流
- アクセス
- 国道19号を多治見から恵那方面に進み小里川ダム右折の看板のある信号を右折します
- 2つ目の信号を右折し少し進むと左側にあります
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