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別 名 | : | 白鷲城 |
所在地 | : | 兵庫県姫路市本町 |
築城年月 | : | 元弘3年(1333年) |
築城者 | : | 赤松則村 |
主要城主 | : | 池田氏・本多氏・酒井氏 |
城郭様式 | : | 平山城 |
遺 構 | : | 天守台、城門、石垣、堀 |
姫路城は播磨の守護職赤松則村がここに砦を築きその子貞範が正平元年(1346年)に城を構えたのが始まりです
天正8年(1580年)羽柴秀吉が西国攻略の拠点地として入城し、3層の天守閣を建てた 関が原の戦い後は池田輝政が入り5層7階の天守を建てた 池田氏の後本多忠政が入り長男忠刻とその室千姫のために西の丸を整備し現在の全容となった その後は松平氏・榊原氏・酒井氏が入り明治維新を迎えた
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大手門です。正式には桐二ノ門で外側には桜門、内側には桐一ノ門があった | 大手門付近の内堀です |
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城址碑と天守閣です | 菱の門です。三の丸から二の丸に通じる大手口を固めた城門です |
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カの櫓です | ワの櫓です |
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化粧櫓です。千姫が本多忠刻に嫁いで将軍家よりもらった10万石の化粧料でこの櫓を建てたと言われている | 西の丸全景です |
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西之丸からの天守と西小天守と乾小天守です | はの門です |
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はの門柱の礎石の転用石です | 大小天守群です |
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姥が石です | るの門(穴門)です |
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三国壕です | 水五の門です |
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流しです。天守内にあるのは非常に珍しい | 東西の大柱です |
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石打棚・内室です。3・4階ほ構造上窓が高いので石打棚を設けて物見・射撃用の足場とした。別名武者台ともいう | 開かずの間です。特別公開で宮本武蔵で有名な部屋です |