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別 名 | : | 錦城 |
所在地 | : | 大阪市中央区大阪城1番1号 |
築城年月 | : | 天正11年(1583年) 元和6年(1620年) |
築城者 | : | 豊臣秀吉・徳川秀忠 |
主要城主 | : | 豊臣氏・徳川氏 |
城郭様式 | : | 平城 |
遺 構 | : | 天守閣・堀・石垣 |
大阪城の前身は明応5年(1496年)本願寺八世蓮如上人が石山に坊舎を建立したのが始まりです
天文2年(1533年)証如上人のとき本願寺が建立されたが、これは戦乱に備え城構えを持った寺であった この石山本願寺も天正8年(1580年)と信長和睦し、紀伊に移った 大阪城は天正11年(1583年)から15年がかりで築き、その大きさは今の4〜5倍はあったといわれている この城も大阪夏の陣で焼失し、元和6年徳川秀忠が築城し寛永6年(1629年)に完成したが、寛文5年(1665年)落雷で天守閣を焼失以後再建されなかった
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東外堀です | 青屋門手前門跡です |
青屋門です。大阪城の非常口と言われる門で元和6年(1620年)頃創建された | 極楽橋です。山里丸と二の丸を結ぶ橋です |
極楽橋西側の門跡です | 極楽橋渡った後の虎口です |
山里丸跡です。天守閣北側にある低地で秀吉は「ここを山里に見たてて茶室などを設けたといわれている。淀君・秀頼が自刃した豊臣家滅亡の地でもある | 秀頼自刃の地です |
山里丸から天守方向の石垣です | 天守付近門跡です |
金蔵です。博物館の北隣にある海鼠壁の建物。天保8年(1837年)に改造された金貨・銀貨の保管庫で土間は分厚い石が敷かれ入り口扉は3重という厳重なものです | 残念石です。大阪城修復の天領小豆島で割られたまま用材石として使われず残されていることから残念石と呼ばれている |
天守閣です | 金明水井戸屋形です。秀吉が金の延板を沈めたといわれている。井戸を覆う切妻造の屋形で寛永3年(1626年)建造で重要文化財となっている |
号砲です。天守閣前にある大砲で明治から大正にかけて空砲を撃って正午を告げたもので「ドン」とも呼ばれていた | 金鯱です |