弘前城津軽地方を統一した津軽為信によって慶長8年(1603年)に計画され、為信死後2代目信牧によって完成した
以後津軽氏の居城として260年間廃藩に至るまで続いた
5万石の津軽氏が現在に残る広大な城を築くことができたのは、信牧が徳川家康の養女の婿であったためと東北の大藩、秋田の佐竹氏・盛岡の南部氏・仙台の伊達氏・米沢の上杉氏に対する押さえの意味で徳川氏が援助したためと言われている
始めに建てられた天守は本丸西南隅に5層の天守であったが寛永4年(1627年)落雷で天守に格納していた弾薬と1500挺の鉄砲とともに大爆発した
現在の3層3階の天守は9代目藩主津軽寧親が文化7年(1810年)本丸辰巳櫓を層塔式天守の外容に改築し天守代用の御三階とした
- 考察・感想
- ここの天守は見る方向によって姿が全然違います。本丸内から見るとちょっと大きい櫓ですが外から見ると立派な天守に見えます
- これは天守を大きく見せるため東と西側の窓は1間にニつずつ箱狭間を並べ1間ずつ上層を小さくし、寄棟屋根に切妻破風を付け安定感を出している
- 駐車場
- 駐車場有
- 目標物 弘前城地図
- 弘前公園
- アクセス
- JR奥羽本線「弘前駅」下車、バスで15分「市役所前弘前公園入口」下車
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