早雲像早雲像北条の墓北条の墓
幸田口門跡幸田口門跡大手門跡大手門跡
報徳二宮神社報徳二宮神社箱根口門跡箱根口門跡
隅屋敷跡隅屋敷跡城山公園城山公園



早    雲    像

早雲像です。小田原駅西口に建っています

北 条 氏 政・氏 照 の 墓

小田原駅東口から出てひもの市場の左側の狭い道を進み突き当りを右に行くと左側にあります
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原城攻めにより小田原城は落城すると5代城主氏直は高野山に追放され父氏政とその弟氏照は城下の田村安斎邸で自刃した。両人は当時この地にあった北条氏の氏寺「伝心庵」に埋葬された
北条氏政・氏照の墓所です 北条氏政・氏照の墓です。正面に向かって中央が氏政の墓、右が氏政夫人の墓、左が氏照の墓で手前の平たい石が生害石でこの石の上で氏政・氏照が自刃したといわれている

幸   田   門   跡

小田原駅東口から出て「錦通り入口」の交差点を右折しお堀通りを進むと左側にあります
永録4年(1561年)上杉謙信・武田信玄がこの門の外まで押し寄せたといわれている
幸田口門跡の碑です 小田原郵便局裏にある土塁です。三の丸の外周の名残りです

大   手   門   門   跡

小田原駅東口から出て「錦通り入口」の交差点を右折しお堀通りを進み裁判所を左折すると左側にあります
この大手門を入ると西側一帯は三の丸となり道の両側に小田原藩の家老屋敷が並んでいたという
それまで箱根口付近にあった大手門を稲場氏が城主であった寛永10年(1633年)に3代将軍家光が京都に上るのに備えて江戸に向く現在地に移し大手門前までの道は小田原城に入るための御成道として整備され東の入口であった江戸口見付も国道1号線沿いの現在地に移された
大手門跡です 現在大手門跡に建てられた鐘楼です

報  徳  二  宮  神  社

小田原城内の遊園地から市立図書館に来る途中にあります
この神社の境内は戦国時代北条氏によって造成された古い曲輪で江戸時代前期は雷曲輪、後期は小峰曲輪と呼ばれていた
この空堀は左手の小峰曲輪を囲む堀の北側部分で、堀幅は神社境内の土塁から21m、深さ5mで堀底には堀障子があったようである
小峰曲輪北堀です 二宮金次郎像です。ブロンズ製で戦時中すべて供出され現在残っているのがこの一体だけである

箱  根  口  門  跡

小田原城の南口で北条時代には正門であった
箱根口門跡です 箱根口門跡付近の土塁です

隅   屋   敷   跡

藩主大久保家の一族で禄高1000石、家老職にあった大久保又右衛門の家です三の丸には家老級の重臣の屋敷が建ち並んでいたという
隅屋敷跡です

城   山   公   園

御鐘台大堀切です 御鐘台大堀切付近の曲輪??です

道路端からの御鐘台大堀切?です 八幡曲輪です


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小田原城1小田原城1
小田原城2小田原城2