松   本   城   


【天守閣】
別  名深志城・鵞湖城
所在地長野県松本市丸の内
築城年月文禄・慶長年間
(1592〜1615年)
築城者石川数正・康長
主要城主水野氏・戸田氏
城郭様式平城
遺  構天守閣・月見櫓・乾小天守
渡櫓・石垣・堀
松本城は国宝4天守(松本城・犬山城・彦根城・姫路城)の内のひとつである

松本城の前身は深志城といい、小笠原氏の氏族島立右近貞永が築いたが、天文19年(1550年)武田晴信により落城し、武田氏の信濃支配の拠点となった

その後天正10年(1582年)小笠原貞慶が本能寺の変の動乱に乗じ、深志城を回復し、名を松本城と改めた

天正18年(1590年)に小田原城の北条氏直を下すと、関東に徳川家康を移封し、この時小笠原秀政は家康に従い下総に移ると、秀吉は石川数正を松本城に移封した

今の松本城天守は、この石川数正・康長父子により築造された

考察・感想
さすが国王天守 見事です
五重六階の大天守に乾小天守、渡櫓、月見櫓を複合した「連結複合式」、色は黒
重みがありますね
こぼれ話 傾いた天守閣
貞享3年(1686年)藩主水野忠直の年貢増徴に中萱村の嘉助達は藩庁に押しかけ撤回を要求したが、騙して捕らえられて城の西の勢高の刑場での処刑となった
この時、嘉助は「官吏どもたばかったか。二斗五升、二斗五升!」と叫んで天守閣をぐっと睨みつけるとメリメリという音がして天守閣が西南に傾いたという
駐車場
有料駐車場多数
目標物
松本城
埋門と埋の橋です 黒門です。

黒門横石垣と内堀です 城址碑です

天守閣です 天守閣内の武者走りです

矢狭間です 階段です

月見櫓です。北・東・南の戸を外すと三方吹き抜けとなる。現存する城郭建築の中で月見櫓を持つのは松本城と岡山城だけで、天守と一体となっているのは松本城だけである 本丸御殿跡です

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