大垣城は最初水門川を外堀に利用して作られた規模の小さな城であった
永録2年(1559年)氏家直元が城主となると城の拡張を行い堀を深くし総囲いの築造も行われた
その後城主は池田恒興子輝政、三好秀次、木下秀長、加藤光泰、一柳直末、羽柴秀勝と秀吉の一族・重臣が封じられた
この後天正18年から慶長5年まで伊藤氏が在城し、このとき天守が造営されたという
関ヶ原の戦いの前には石田三成が入城し、合戦時には福原長尭ら兵7500が守り東軍勝利後の攻城時には3日間持ちこたえた
寛永12年(1635年)戸田氏が入城するまでは徳川譜代の大名が城主となった
- こぼれ話(おあむ物語)
- 関ヶ原の戦いの時「おあむ」は父去暦は西軍三成勢に属し大垣城にたてこもっていた
- 落城不安につのるある日東軍から矢文が届き「去暦は家康の手習いの師匠をしたものであるから城から脱出するなら助けよう」とのことであった
- 「おあむ」は父母らとともに西堀橋の松から堀のたらい舟に乗り移り逃れた
- おあむは父母とともに親類を頼って土佐に移り雨森儀石衛門に嫁ぎ寛永年間に八十余歳で没した
- その後誰言うとなく「おあむの松」と愛称した
- 考察・感想
- 復興天守ではあるが、天守のある城はいい
- この城は町中からは全然見えない。ビルが高すぎるのだろうか
- 駐車場
- 周辺に有料駐車場多数有(30分100円)
- 目標物
- 大垣市役所
- アクセス
- JR東海道本線「大垣駅」を降りそのまま南に進むと正面にあります
- 又は国道21号を穂積から関ヶ原方面に進みます
- 大垣市に入り交差点「楽田町」を左折し、交差点「藤江町6」を左折すると正面にあります
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