岩 村 城
井戸跡
屋敷跡
土岐門(大手ニの門)
岩村遠山軍が土岐氏を破りその城門をここに移したという伝説から土岐門の名がある
竜神の井
この井戸は岩村城のうち最大規模である。昭和63年に岐阜県の名水50選に認定された
俄坂門(櫓門)
菱櫓の前に位置し番所・多門があり大円寺・水晶山方面を遠望監視した。この門は実際は裏手の門で普段は使わないが落城等の非常口として用いられた
遠見櫓
八幡曲輪の一角にあり二層の櫓が建っていた。一の門とは違い常時は物見兵を置かず巡回の時に上がって物見をしたという
昇龍の井戸
本丸にある
本丸裏門
この裏門は3種類の石垣の積み方(野面積み・打込ハギ・切込ハギ)が1度に見える日本でも珍しい場所である。向かって左が野面積み、右側が打込ハギ・切込ハギの石垣です
二の丸弁財天跡
1817年(文化14年)岩村藩であった駿河国広野村(静岡市)の宇兵衛の庭に大音響とともの一つの玉が落ちてきた。藩主が占ってもらったら弁財天の玉ということでありここへ祀った。隕石という説がある
帯曲輪
六段壁
本丸の二の丸側の石垣は六段階積みとなっているので六段壁とよばれている。地形が急斜面のためにとった工法であるが5段目と6段目に別の石垣が積んであるのは謎である
赤時門
不開門ともいい常はほとんど開けない
東曲輪櫓
東曲輪
平重門
本丸の正門の東からの入口
長局埋門
防衛を目的とした狭い門
武者隠多門
非常時に多数の武士が待機した建物があった
氷餅蔵
出丸平重門
出丸の正門で厳重な防衛のあった門
藩主邸跡
太鼓櫓
従是岩村方鉄砲停
建設年代は江戸時代で岩村城を中心として岩村・大円寺・宮田・飯羽間の地域では鉄砲の使用が停められていた
松平家乘の墓
城下町の近代化を図った名君家乘の墓である
松平家供養塔
右から岩村初代城主松平家乘の父真乘。その横が松平家乘の妻。その横が松平乘保の長男乘友。その横が松平乘薀の長男乘国のものである
大将陣公園
織田信忠は3万の大軍を率い武田側にあった岩村城奪回のためここに本陣を置いて総指揮をとった
大将塚
天正3年(1575年)11月20日大将陣で岩村城主秋山信友夫婦ら5人が処刑され葬られたのがこの塚である
温故の井
一条信能終焉の地
勝川家
浅見家
木村家
土佐家
天正疎水
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