金  沢  城  址



金沢城内には多くに遺構が残っています
現存する建物から復興した建物、櫓跡などいろいろありますので、ここで紹介していきます

三十間長屋です。宝暦火災(1759年)後長く再建されず安政5年(1858年)に再建された長屋。高い土台に板敷であることから武器・弾薬の倉庫と見られる 三十間長屋出窓です

本丸です。金沢御堂があった場所で天正11年(1583年)に前田利家が入城しこの地に天主閣を設けた。天主閣は慶長火災(1602年)で焼失し代わって3階櫓が建てられた。宝暦火災(1759年)までは本丸御殿もおかれ金沢城の中心となっていた 東の丸です

戌亥櫓跡です。本丸の北西角、戌亥の方角に当たることから「戌亥櫓」と呼ばれた。東と北に「出し」という出窓がついている二層の櫓だった 辰巳櫓跡です。東丸南側にある櫓で本丸から見て東南、辰巳の方角にあることからこの名が付いた。百間堀から堂形御蔵方向を見渡す位置にあり警備上も警官上も重要な場所であった

丑寅櫓跡です。東丸北側にある櫓で本丸から見て北東、丑寅の方角にあることからこの名が付いた。水の手門枡形から石川門、石川橋、兼六園を見渡す重要な位置を占めていた 四十間長屋跡です

菱櫓・五十間長屋・橋爪続櫓です 菱櫓・五十間長屋です

内堀にかかる橋爪橋と橋爪門続櫓です 橋爪門続櫓です

橋爪橋と橋爪門続櫓遠景です 菱櫓です

菱櫓の復元階段です 菱櫓の石落です

菱櫓と五十間長屋の軸組模型です。この模型は実物の1/10で製作されています 城模型です

城絵図1です 城絵図2です

内堀と石落用出窓です。この建物には大小6ヶ所の出し(出窓)が設置されている。出しは出窓形式で三方に窓が付いている。菱櫓の出しは出が大きく唐破風、千鳥破風と意匠的にも工夫され華やかである 五十間長屋の出窓です

鶴丸倉庫正面です。ここは東丸附段と呼ばれ鶴丸は一段したのエリアになる 鶴丸倉庫全景です。この倉庫は明治初頭には存在していた。江戸時代には少し小さな土蔵が建てられていた

百間堀です。別名蓮池堀とも呼ばれ、金沢御堂陥落後佐久間盛政の時代につくられ前田利家の入城後その子利長により改修された。小立台と金沢城を分断する水堀で長さ270m、幅68.4m、深2.4mあった 大手堀です

利家像です 旧第六旅団司令部です

鉄門石垣です。本丸の入口となるここ鉄門の石垣には「切り込みハギ」の技法が用いられている。石の表面を多角形に加工したすぐれてデザインで丁寧な作りになっている 尾坂門石垣です。巨大な割石を使った打ち込みハギの石垣です。巨石は鏡石と呼ばれ一般には城の正面によく用いられており金沢城の石垣の中で最大の石もこの中に組み込まれています

石川門石垣です。この石垣は右と左で積み方が違っている。右側が「切り込みハギ」、左側が「打ち込みハギ」の技法となっている 数寄屋敷石垣です。この付近は数寄屋といわれ藩主の側室たちの住まいがあったところです。石積の技法は石の表面を長方形に仕上げた「切り込みハギ」である

東ノ丸北面石垣です。この石垣は城内で最も古い技法が用いられており、自然石や粗割りしただけの石を緩い勾配で積み上げた「野面積み」になっている 駐車場からの石垣です

石垣の刻印1です 石垣の刻印2です

極楽橋です。二の丸から本丸への通路に架かる橋で、この名称から金沢御堂時代の遺構であると伝承がある 案内図です

金沢城址メイン金沢城址メイン
門跡金沢城門跡
神社尾山神社・尾崎神社
野田山墓地野田山墓地
加賀百万石博加賀百万石博

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